1. 南山韓屋村の 紹介。
ここ南山の北側の麓は、朝鮮時代は淸い水が流れる谷間で泉雨閣があり、夏には避暑地にもなる遊興の場所として知られていました。当時は葵青い鶴が住む仙郷の意味で青鶴洞と呼ばれていました。
青鶴洞は景観が美しいことでも有名で、三淸洞、仁王洞、雙溪洞、白雲洞とともに [漢陽(ソウルの古称)の五洞] に数えられていました。
この地に昔の面影を再現しようと、池を掘り、亭を築き、植物を植えて伝統的な庭園を建設し、7,934㎡(2,400坪)の敷地に、ソウルの八大家といわれたヤンバン(両班=中世の貴族)の家をはじめ庶民の家など5軒を移築し復元しました。
家屋の中には、そこに暮らした人の身分相応の家具を配置し、当時の生活の様子がしのばれるように配慮しました。伝統工芸館では、無形文化財に指定された技能保持者の作品と観光記念品の展示・即売を常時行っています。
住所
ソウル特別市中区筆洞2街 84-1
現地アクセス
地下鉄: 3・4号線忠武路駅3番出口より200m
(中央大学付属病院と毎日経済新聞社の路地)
バス:
0013, 0211, 104, 105, 263, 371, 400, 604, 7011
データ
入場料 :
無料観覧
開場期間: 09:00-22:00(3月-11月)
09:00-20:00(11月-2月)
休み : 毎週火曜日(ただし、火曜日が公休日の場合はその翌日)
問い合せ先:
82-2-2266-6923
1.純貞孝皇后尹氏親家
この家屋は朝鮮第27代純宗の妃である純貞孝皇后尹氏が、13歳で東宮継妃になるまで住んでいた家で「尹氏家」とも言われています。
しかし、建築様式からみて、純宗が即位(1907年)し、尹氏が皇后になった後の1910年代に、府院君(皇后の父親)の家として建てられたものと推定されます。
この家は鐘路区玉仁洞47-133にあったが、あまりにも老朽化して移築できないため、もとの家屋の建築様式どおりにここに再建しました。
家は「コ」の字型の本屋の前方に舍廊房を置き、全体的には「ロ」の字の形になっています。本屋と舍廊房側は屋根に段差を設け、舍廊房の板敷きの共用部分は外から見ると重層的に作られているが、これは地形を生かした構造であります。
長方形石の基壇、方形礎石、初翼工、雲工(雲形の支之石や株)を 使っていること、背後と側面の縁側の外側に設けた「井」の字形の窓、煉瓦を使った防火壁の設置などから、上流層の邸宅であることが分かり、一見、別宮の面影を示してもいます。
2.駙馬都尉(王のむこ)朴泳孝 家屋
ソウルの八大家のひとつに挙げられているこの家屋は、 朝鮮第25代哲宗の後宮・淑儀范氏の娘の夫・朴泳孝(1861∼1939)が住んだ家であります。
鐘路区寛勳洞30-1にあったものを移築し復元しました。 この建物はもともと母屋、舍廊房、別棟、大門間、行廊(門につながっている部屋)などがあったが、母屋のほかは破損していました。そこで母屋と舍廊房・別棟だけを復元させました。
母屋は 「┏ 」字形(カギ型)の建物に 「一」 字形の行廊が付いて 「コ」の字形になっており、台所や内房もみな同じ方向を向いています。これは開城を中心にする中部地方独自のもので、ソウルの家屋では見られない形であります。長台石を使った基壇、7列の組み、6間もある台所など、当時の大家の面影をしのばせてくれます。
なお波蓮刻(花模様の彫刻)を施したはりと波蓮台を使い、板の間の下の壁に透かし穴紋様の煉瓦を用いており、換気口を設けていることなども、一般民家では見られない特徴であります。
3.南山伝統庭園
ソウルの象徴である南山は、その昔、木覓山(もくみょくさん)といい、都の南側に位置しているので南山とも称されてきました。南山は自然の風景がとても美しく、仙人が谷間に庵を建て詩歌や絵画を作る風流生活を送った所であり、秀麗な景觀を訪ねる善男善女が遊興や余暇を樂しむために訪ねてくるなど、いつも足跡の絶えない場所でした。
この南山伝統庭園は、破壞された地形を原形どおりに復元し、南山に自生する樹木を植え、水路を作り水が自然に流れるようにし、亭や池などを築いて伝統様式の庭園のように仕上げたものであります。
庭園の北東側の敷地7,934㎡(2,400坪)には、市内にあった韓屋5棟を移築・復元し、この韓屋で暮らした人の身分や性格にふさわしい家具なども配置し、当時の生活を再現するように努めました。
庭園の西側には、水が昔のように流れるせせらぎを作り、その側に古風な亭を配して仙人たちが悠々自適した昔の趣きを味わえるようにしました。
南側には、(1994年11月29日埋設)普信閣の鐘の形をしたタイムカプセルが埋められています。この中には、ソウルの都市の状況、市民生活と社会文化を代表するさまざまな資料など600点が收められていて、いまの時代の様子が400年後の2394年11月29日に、後世の人に公開されるのであります。
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